DropsⅥ vol.2

ED後の話

日中でも暗い室内は、日が暮れたおかげで更に闇の度合いを増していた。
この中で唯一の灯りを点している卓上のランプを片手に、両瞼をこじ開けて瞳孔を調べる。
「・・・どうやら、上手くいった様です。」
右の手首から脈を採りながらジェイドは、今度はアッシュの呼吸の状態を確かめていた。
意識を完全に失ったアッシュは、ぐったりとした様子で椅子にだらり、ともたれかかって座っている。
「すみません。睡眠状態なのではなく、且つ意識を飛ばして頂く必要があったもので。」


彼がアルコールを大量に摂取していてくれたのは幸いだった。
いくら特別な訓練を受けている、とはいっても、正常な状態の人間を失神させるということは、並大抵の事では出来ない。下手をすれば、その人間の命にも関わる。
アルコールの過剰摂取、急激な血中酸素の低下、それに加えて人体の全てのフォン=スロットの正確な場所までもを熟知している、ジェイドだからこそ、この方法が上手くいったのだ、と言えるだろう。
「さて。時間も無いので早速始めましょう。」
ジェイドは意識を一点に集中させた。

風も無いのに服の裾が揺れ始める。
自分の全身のフォン=スロットを開いてゆく。
微かな音素信号でも受け入れられる状態にして、ジェイドは言葉を発した。
「アッシュは今、ここにはいません。私はあなたに、お話があります。」
ジェイドから放たれている微量の風が、少しずつ、アッシュの座っている椅子へ向かって流れていく。
やがてその風は、アッシュの身体を強く凪いだかと思うと、一瞬だけ逆方向に吹き、辺りは再び静寂に包まれた。
俯いたままだったアッシュの顔が、ゆっくりと持ち上げられ始めた。
「どうして判った・・・ジェイド。」

見た目も声質も先程と同じだが、不安げな表情とその弱弱しい口調は、もうアッシュの物ではなくなっていた。
「隠し事をするなんて、悪い子ですね。ルーク。」
責めるでも非難するでもなく、いつもの調子でジェイドは話しかけた。
淋しげに笑うその表情は、正しく“ルーク”のもの、だった。
「・・・本当は、いつでもアッシュの身体を乗っ取れる、のでしょう?」
ジェイドがニヤリ、として言ってみせると、
「そんな言い方、止めてくれ!」
と、強い口調でルークは返してきた。
「おや。いつものあなたに戻りましたね。」
ジェイドは椅子から思わず立ち上がったルーク、に近づいていった。
「時間がありません。色々聞きたい事はありますが、詳しい話は抜きにして、要件だけを言います。」

上目遣いに見ているルークに、ジェイドはにっこり、と微笑んで続けた。
「あなたが出て来ない、という事が、アッシュをここまで憔悴させている、という実状は、解っていますよね?」
「わかってる。わかってるよ、でもさ・・・」
「それ以上は、結構です。」
理由を言いかけたルークを、強い口調でジェイドは制した。
「アッシュも言っていたか、とは思いますが、あなたの残留思念のおかげで彼は、精神のバランスを崩し始めています。」
「・・・それは本当に悪いと思ってる。・・・でも」
「でも、はいいんです。」
更に強い口調でジェイドは諭す。
「あなたが、強い想いをこの世界に残しているのは事実です。ですから、あなたのやり残した事、言っていない言葉、伝えたい想いは、あなた自身で成就させなさい。でないと彼は、一生あなたの思念に捕らわれ続ける。重荷を背負わせているのは解っているのでしょう?」
「・・・・・・。」
これ以上言い訳を重ねても聞いてはもらえない、と思ったのか、ルークは返事をしなかった。

「彼に本当に申し訳ない、と思うのなら、アッシュの言う通りにしてあげなさい。あなたが彼のため、と思ってやっている行為が逆に、アッシュには諸刃の剣となっているのですよ。」
ルークは答えない。
「あなたが不必要に遠慮をする事こそが、彼を一番傷つけている、という事が何故、あなたには解らないのです。」
「あいつを・・・傷つける?」
「そうです。」
ジェイドは、はぁー、と溜息をついた。
「私達が見た最期のあなたは、自信と自我を取り戻していた。・・・いや、初めて手に掴んだ、と言うべきなのでしょうか。だからアッシュもあなたに望みを託したのです。彼に認められたのは、解っていたでしょう?」
「・・・ああ。」
「それなのに、今のあなたは何ですか。昔のあなたに戻ってしまっている。いえ、もしかしたらそれ以上、かもしれません。アッシュが怒るのも当然です。」
「ジェイド・・・。」
「昔、アッシュが何故あなたに対して、ああいう態度を取っていたのか、最後に剣を合わせた時にあなたには解ったはずです。それなのに何故、また同じ事を繰り返しているのですか。」

「!!」

「・・・ごめん・・・。」
ルークの悲しげな表情に、はっ、と我に返ったジェイドは、
「─すみません。熱が入りすぎてしまいました。」
と言って、自嘲するように笑った。
「どうも私は、あなたを前にすると、自分の感情をつい表に出してしまうようです。おかしいですね。」
「ジェイド。」
「それも私が、あなたに執着を残しているせい、なのでしょうが、ね。」
ジェイドはじっとルークの顔を見た。

「・・・一番解っていないのは俺、だったんだな。」
ルークがぽつりと言った。
「自分の身体が消えたことで、また昔みたいに卑屈になってたみたいだ。」

ルークは少し恥ずかしそうに照れ笑いをし
そう言ってくれて嬉しいよ、ジェイド。俺、近い内にきっとみんなに会いに行くよ。伝えるべき言葉は伝える。 そして、今度こそ思い残すことなく、きっぱりと消える。それでいいよな?ジェイド?
としっかりとした口調で言った。
「ええ。いい、と思います。」
ジェイドは穏やかに微笑んで言った。
「友人としては、残って欲しい、と思いますが、ね。」
それを聞いてルークも笑った。

「・・・ありがとうジェイド。又、そう言ってくれて。」
互いに笑みを交わし合った後、ルークはそうだ、という様に、自分の拳を叩いて言った。
「俺、アッシュにも、謝らなくっちゃな。あ、心配するなよ、今度は喧嘩しないようにするからさ。」
「そうして頂けると、こちらも安心です。」
二人の間に、懐かしい、あの頃の空気が漂った。
「・・・じゃ、俺、そろそろ一旦戻るよ。いつまでもこのままじゃ、さすがにアッシュが可哀想だ。」
「そうですね。大分時間も経ちましたし。でも本人に向かって可哀想、などとは言わないで下さいね。でないと私は、また一からやり直しになってしまいますから。」
「はははは。解ってるよ、ジェイド。」
ルークは笑って頷くと、じゃまたな、と言って、元の場所へ還っていった。

部屋にはジェイドと、先程と同じ様な静けさが残された。
椅子に座ったアッシュの頭が、又うな垂れ始める。
その様子を見て、ジェイドは呟く。
「早く起こして差し上げたい所なのですが、後を考えると怖いですねぇ。」

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