数時間後に迫った三カ国定例会議の準備で、ティアは朝からユリアシティ内を忙しく立ち回っていた。
今日の議題や各国代表へ渡す資料を各机の上に並べながらティアは先程、他の代表達より一足先にユリアシティに着いていた、ナタリアとのやり取りを思い出していた。
ルークがここへやって来る。
その事実を聞いたティアは、身体中に広がる緊張を抑えられなかった。
「詳しい事はまだわたくしにも分かりませんが・・・。」
とナタリアはすまなそうに前置きして、
「でもルークは皆に会いにここへ来る、と、こちらへ移動途中の大佐から先程連絡がありました。ですからティアもその心積もりでいて下さい、と・・・。」
と言った。
こんなに急に来る、だなんて・・・。
ティアは混乱して言葉を失っていた。
一体何から話せばいいのだろう。
言いたい事は山ほどある。
けれど、会った瞬間に、頭が真っ白になってしまいそうだった。
そんなティアの様子を察してナタリアは言った。
「・・・わたくしも、心の準備に時間がかかりました。だからここへ到着してすぐに、ティアにもお知らせしたのです。 こんなに心待ちにしていたのに、おかしいですわ、何故だかわたくしは、怖くて堪らないのです・・・。」
そう言ってナタリアは深呼吸をした。
「・・・この二年弱、わたくし達はこの日を待ち続けておりましたわね。とうとうその日がやってまいりました。長い様で短い年月でした。」
ナタリアの声は少し震えていた。
「ナタリア・・・。」
そんな彼女を見て、ティアも、怖いのは私だけではなかったのね・・・、と気付き、ナタリアの肩にそっと手を置いて言った。
「本当に・・・長い様で短かった。」
「わたくしも精一杯、今の気持ちを伝えるつもりです。ですからティア。あなたの気持ちも、残すことなく全て、今度こそ彼に伝えて下さいませね。」
「・・・ありがとうナタリア。あなたは私にいつも優しくしてくれた。本当に感謝しているわ。大丈夫。あなたを心配させるようなことにはならないわ。」
ティアはそう笑顔で返した。
「そうですか。それを伺って安心しました・・・。では名残惜しいですが、わたくし、会議がありますのでもう行きますわね。」
ナタリアはそう言い残して元来た方向へ去っていった。
軽く手を振って見送ったティアは、改めてその事実を噛み締めていた。
ルークにもう一度会える。
そう考えるだけで胸が一杯になってくる。
何から話せばいいのかまだ判らなかったティアだったが、ルークに会った時の感情に素直になろう、変なやせ我慢だけはもうすまい、と心に決めて、役目の終わった会議室を離れて自室へと戻っていった。
その頃来賓の控え室へ向かっていたナタリアは、自分の正面を歩いている、とてもよく見覚えのある後姿を捉えていた。
焔色の髪に背中に挿した剣。少し早足な、見慣れた歩き方。
「アッシュ!」
ナタリアの口からつい、ある人物の名前が出てきてしまった。
その声にぴくり、と立ち止まり、ゆっくりと振り返った彼は、それからじっ、とナタリアを見ていた。
互いにあと数メートル、という所で立ち止まり、暫くの間二人は無言で見つめ合っていた。
言葉こそ交わさなかったが、しかしナタリアには彼の心が伝わってきた。
エメラルドグリーンの瞳に映し出された強い光、そして昔と全く変わらない、自分へむけられる愛情の色。
「・・・アッシュ。」
程なくしてアッシュは、くるりと向き直り再び歩き出した。そして彼の姿は、来賓用の控え室へ続く廊下の奥へと消えていった。
はっ、として気付くと、ナタリアは涙ぐんでいた。
それは言葉を交わせなかったことの落胆の涙ではなく、お互いの気持ちが昔と変わることなく、こうしてまた再会できたことへの喜びの涙であった。
来賓控え室に続く長い廊下を歩きながら、アッシュはギンジに言われた言葉を思い出していた。
「ナタリア様はアッシュさんを深く愛していらっしゃいます。今でもずっと。」
三カ国会議の開催日に合わせて1日休みをもらうために、ノワールに話をしに行ったアッシュは、そこへ先に来ていたギンジに、話したい事があるから、と別室に呼び出された。
「・・・何かあったのか?」
ギンジから直々に話など珍しいことだったので、やっかい事かとアッシュは少々警戒していた。
「あったというか、なんというか・・・。」
ギンジは最初口篭っていたが、顔に不信感を露にしたアッシュを見て慌てて、意を決したように言葉を紡いだ。
「先日、ナタリア様にお会いしました。」
「?!」
アッシュの咄嗟に隠した動揺を見逃さずにギンジは続けた。
「偶然の成り行きではあったのですが・・・。でもその時に、ナタリア様のアッシュさんへの想いをお聞きして、これはどうしても伝えておかないと、と思って。」
それを聞いたアッシュは、
「大きなお世話なんだよ!」
とつい怒鳴ってしまっていた。
「─そう言われると思っていました。でも今日は、僕は引きませんよ。
ナタリア様に頼まれたのではありません。ナタリア様のアッシュさんへの深い想いに心を動かされた僕が、勝手にやっているだけです。」
そう言ってギンジは、先程の言葉を口にしたのだった。
「・・・あのお節介野郎が。」
アッシュはその時の事を思い出して独り言を呟いた。
そう口にしながら、しかしその言葉とは裏腹に、アッシュはギンジから聞いたナタリアの想いを何度と無く反芻していた。
「・・・あんな事を言った俺を、今でもお前は信じていてくれるのか。ナタリア。」
信じられない、という思いと、どこまでお人好しなんだ、あいつまで、という思いが交錯する。
「俺はお前に、何もしてやれなかったというのに。」
アッシュ。
自分を呼ぶナタリアの声と共に、自分の返事を待つような、縋る様な彼女の顔が頭に浮かんでくる。
アッシュ。
あれ程憎んでいた自分の“燃えカス”の名が、今では微かな熱を帯びて響いてくる。
あいつに呼ばれる事が、こんなにも自分を突き動かすものだった、などと。
アッシュはそんな事を考えていた自分に気付き、はっ、として赤くなった。
するとすぐ近くから、
「素直になれよ、アッシュ。恥ずかしい事なんか何も無ぇんだ。」
と言うルークの声が聞こえてくる。
「うるせぇ!とっとと行くぞ!」
照れ隠しからか、必要以上に大声を出したアッシュは、バァーン、と大きな音をたてて来賓室の観音扉を両手で開いた。