「破滅させるのではない。破滅するのだ。互いが互いを殺し合ってな。」
殺す─。
知らず知らずの内に自分の唇は、最後の単語を反復していた。
その、非日常的で過分に物騒な言葉は、過去に起きた揺らぎようのない歴史を物語るかの如く、天に向かって淡々と紡がれる。
音の返ってくる方向へ顔をむけて横になり、身体を傾けてじっとしていた自分の右耳に入ってきた低音は、
ゆっくりと、まるで口説き文句の様に自分の体内の隅々にまで響いてきた。
その口から発せられる息は、既に整っている。
そもそも内容自体、ベッドの中でする様な話ではない。
いわゆる、通常の男女であれば興醒めするであろう。
しかしそれを平然とやってのけるのだ、この男は。
リグレットは沈黙したまま、闇の奥に映し出される横顔の輪郭をなぞっていた。
瞳は生き生きと見開かれ、まるで限りなく広がる壮大な夢でも語るかの様だ。
そしてその瞳は常に、己の目指す理想へと真っ直ぐに向けられている。
ただ一点の曇りも無く。
そして自分も、それを聞いても驚きはしない。
男は更に続ける。
「この世界から戦争は無くならない。人間が己の意思や感情を持たぬ“生き物”にでもならぬ限りはな。」
情事の後は、男は大抵すぐに帰って行く。自分もそれを引き止めはしない。
互いの最終領域は互いに越えないのが礼儀であると、リグレットは思っている。
それが二人の間では暗黙の了解のうちに成り立っていた。
しかし今日は違う。
甘い言葉も囁かず、ほぼ行動でのみ表すこの男にしてはやけに饒舌だ。
いつもとは違う相手を見るようだった。
リグレットは少々意外に思った。しかし表情には出さない。それが彼女なりの、相手への敬意の表し方だった。
仕事上では上司にあたるこの男は、普段は平然と職務を全うしつつ、教団内での階級を超えた事実上の覇権を耽々と狙っている。
秘預言によって弟マルセルはその男に見殺しにされたのだと知り、敵討ちの為に近づいたリグレットだったが、
男の方が一枚上手でその場は仕損じてしまった。
しかもあろうことか男は、リグレットを自分の副官に任命するなどと言い出だした。
自分の傍らに常時つかせ、彼女がいつでも自分を殺すことができる状態になること良しとし、 自らそれを提案してきたのだ。
何が目的だ─。
そう問いただすリグレットにその男は、自分の命が預言に勝てるのか確かめたいだけだ、と言い放った。
(私という人間を、既にその時点で看破していた、とも言える。)
リグレットはいつの間にか、そんな風に考えるようになっていた。
男の副官としてその傍らについた始めこそ、その行動の裏表の激しさに困惑したリグレットだったが、
そう立ち回る事こそが何より賢いやり方なのだとやがて理解した。
この世の更なる繁栄というユリアの預言を盲目的に信じ、預言の遵守と我が身の保身にしか頭にないあの上層部の馬鹿共を虚像にし、
教団を意のままに操る為に陰の実力を備える。
それが男の目論見だった。
何故そこまでしてのし上がる必要があるのか。
ただ単に、自らの上昇志向のみから派生しているとも思えない。
本当は何を考えているこの男─。
その頃リグレットは、例の行動を実行に移すのを止めて一時静観する、という態度を決めたのだった。
それは男の本意を探る為であったが、この男に興味が沸いたから、というのもまた紛れも無い事実であった。