太陽が1日の役割を終えようとしている、黄昏ゆく部屋の中で目を覚ましたティアはその部屋に一人きりだった。
カーテンの隙間から漏れてくる橙色の斜光が、寂寞としたその空間に無数に長く伸びた影を作っていく。
私はどの位の時間、眠っていたのだろう。
自分の身体が鉛のように重く感じる。
気だるい気分のまま、暫くの間ティアはベッドにその身を横たえたままにしていた。
見慣れぬ天井でその翼を回転させている扇風機は、取り付け部分に緩みが生じているのか、カタカタ、と乾いた音を鳴らし続けている。
ティアは瞳だけを動かして、部屋の中を見回してみた。
奥の窓からは、外の屋根から何本も夕煙が立ち上っている様子が見える。
この建物はどうやら、周囲より少し高い所に建っているらしい。
ここは何処だろう。
どうやってこの部屋に来たのかも思い出せない。
途切れ途切れになっている自分の記憶を辿ってみる。
しかし今のティアには、それらを一つに繋げることは出来なかった。
ままならない自分の身体と、皆に迷惑をかけてしまっていることへの焦りは、ティアに更なる自己嫌悪を覚えさせた。
瘴気に蝕まれたこの身体は日々、否応なく体力を奪っていき、この頃は少しでも無理をするとすぐに眩暈を覚えるようになっていた。
酷い時にはそのまま意識を失ってしまうこともあった。
この様子では、恐らく今日も自分は倒れてしまったのだろう。
ティアには、一人でこうしている事がまるで永遠に続くかのような不安感と、ふつふつとこみ上げてくる寂寥感に押しつぶされそうな心持がしていた。
どうしよう。眼を閉じるのが怖いと感じるなんて。
すると、コンコン、と誰かが入り口の扉を叩く音がした。
「ティア、起きてるか?」
返事をしようとするが上手く声が出ない。
ティアがどうにか返事をしようともがいていると、遠慮がちに少しだけ開いた扉の間から、夕陽を浴びて深紅に染まった髪を携えた、ルークの心配そうな顔がのぞいた。
目は開いているが声が出せずに、顔だけルークに向けているティアに気付くと、
「気が付いたか!良かった。」
とルークは声をかけ、
「ちょっと待ってろ、すぐ戻るから。」
とすぐに顔を引っ込めて、足音を鳴らして廊下を駆け戻って言った。
声が出ないのは、口の中が完全に渇ききっているせいだった。
水を飲もうと上半身を起こしかけたが、この部屋の何処にもそれらしいものは見当たらない。
乾いた部屋。乾いた喉。乾いた声。
ティアには自分の身体中がカラカラ、と音を立てているように思えた。
生命の源である水分が足りていない。
そして私はこのまま立ち枯れてゆくのかしら。
そんなことをぼんやりと考えていると、今度はガラガラ、とワゴンを押しながらルークが戻ってきた。
「お待たせ、ティア。」
部屋に入ってくると、とりあえずは水だろ?と言ってルークは、持ってきたボトルからコップに水を注いでくれた。
ティアと目が合うと、ルークはニコッ、と微笑んでコップを差し出した。
やっとの思いでありがとう、と礼を言って、ティアはそのコップを受け取る。
手を伸ばした時に、ふとルークの手元が目に入った。
先程入ってきた時には気が付かなかったが、その両手の指には大量の絆創膏が貼り付けられている。
じっと自分の手を見続けているティアの視線に気が付くと、ルークは恥ずかしそうに、さっ、とその手を後ろに隠した。
「?」
どうしたの、と言わんばかりの顔をしているティアに向かって、
「あ、あははは!こっ、これは・・・あの、その・・・」
と照れくさそうに笑うとルークは、実を言うとさ、とワゴンの上に掛けられていたナフキンを取って見せた。
「それ・・・。」
水で喉を潤したティアが目にしたのは、不恰好な形をした野菜達が一緒に煮込まれた、やけに白い色をしたスープだった。
「クリームシチュー、つーの?作ってみたんだ。ティア、ミルク好きだろ?」
確かにミルクはティアの好物のうちの1つであった。
しかしそれは同時に、ルークの苦手なもののうちの1つでもあるのだ。
「私の為に?ルークが作ってくれたの?」
ティアは声を絞り出すように、そう問うた。
えへへへ、と半分得意げに、半分照れ臭そうに、ルークは鼻をこすっている。
料理も大の苦手なルークが、どれ程苦労をしてこれを作ってくれたのだろう。
しかも自分の嫌いなミルクをこんなに大量に使ってまで。
「ほら、温かいうちに食べてみてくれよ。」
持たせてもらったスプーンで一口、そのシチューを口に入れたティアは、熱さのせいなのか味のせいなのか、その顔を少し歪めていた。
心なしか、その瞳も少々潤んでいるようだ。
「・・・やべぇ。やっぱ不味かった?!」
首を振るティアをルークが覗き込むと、今度は満面の笑みになっている。
「ううん、凄く美味しい・・・。」
クリームシチューにしてはサラサラしていて塩気が無く、野菜には所々に切った後の皮がそのままくっついており、どちらかというとミルクスープ、とでも呼べそうなものだったが、ティアには、どんな豪華な食事もこれには敵わないほどに美味しく思える。
ティアは自分の喉だけでなく、身体中が潤ってゆくように感じられた。
「ありがとう、ルーク。」
「いいって、そんな事。」
礼を言うティアにルークは首を振り、どんどん食べろ、と空いた深皿に鍋からお替りを注いでくれた。
嬉しそうにしているルークに見守られながらティアは、延々とそのシチューを食べ続けた。
ありがとう、ルーク。本当にありがとう。
そう、心の中でずっと繰り返しながら。
<終。>