DropsⅣ vol.2

ED後の話

マルクト帝国軍内部に保管されていた、ホド島の建築図面を写した紙を広げたまま、ガイはそれを手に持ってはいたが、しかし、見てはいなかった。
ここに来たのは、実際にホドとして再稼動させた場合の燃料供給経路や上下水道経路を、今の時代に適した最適のルートに再構築するために、図面だけでは見落としがちな、高低差や後に改良されている場所など、実際の現場を見て測量し直してから考えよう、と思っていたからであった。


しかし現場に来てからというもの、ガイはホド島の過去の記憶に囚われ続けてしまっていた。そのために、一向に作業は進んでいなかったのだった。
ホド戦争で失ってしまった家族や親類、家臣達、ヴァンを慕っていた頃の楽しかった日々、皆に護られっ放しだった泣き虫の自分。
そして、ホド島のレプリカであるこの地で見失ってしまったレプリカのルーク。

「俺は一体どうすればいい。お前もアッシュも、今は存在していないと割り切って、自分の人生を送っていけばいい、とでも言うのか。」
ガイは話しかけている。
「勿論、自分に出来る精一杯の事をしてゆくためにも俺は生きる。だが、お前との記憶を忘れた風にして日々を送る、などということはまだ出来そうにない。還ってきたお前の姿を、俺はこの眼で見てしまったんだ。このままじゃ、俺は踏み出せない。本当にお前は逝ってしまったんだ、と、自分の中で納得できるまでは、な。」
そこにあったのは、穏やかで人当たりもよく、常に笑顔を絶やさない、皆の知っているガイではなく、人見知りが激しく些細なことですぐ泣いてばかりいた、幼い頃のガイの、小さくなった背中だった。

しかし、何度考えてみても解らない。
「“あいつ”の中に確かにいるはずの“ルーク”は、何故俺達の前に出ては来ない。・・・まさかアッシュに遠慮しているのか。」
ガイはいや、と否定する。
「アッシュなら存在しているはずの“ルーク”を故意に隠したりするような真似はしないはずだ。そんな潔の悪いことは絶対にしない。あいつの性格も俺はよく解っているつもりだ。」
では一体何故。

昔から“ルーク”が考えている事は、長年付き合ってきたガイには、手に取るように解った。顔にも行動にもすぐ出ちまうヤツだったから、解り易かった、ともいえる。しかし今回だけは別だ。
あの時つとめて感情を隠すように振舞っていたのは果たして、アッシュなのか、“ルーク”なのか。
「そう考えると俺って、ほんと、“ルーク・フォン・ファブレ”に振り回されっ放しの人生送ってるよなぁ。」
ガイは、はははは、と少し自嘲気味に笑った。

ふと気がつくと、いつから見ていたのか、どの位前からそこにいたのか分からないが、入り口で待っているはずのノエルが、近くにあった建物の脇から出て来て、こちらへ向かって駆け寄ってきた。
「・・・ガイさん。作業がちっとも進んでないじゃないですか!」
真っ白なままの方眼紙を見て、彼女にしては珍しく大きな声を出した。
「あ。バレちまったか・・・。ごめん。待たせていた上にこれじゃあ、ノエルだって怒って当然だよな。本当に悪かった。今日はもう帰ることにするよ。」
頭を掻きながら謝るガイに、ノエルは改めて声を落として言った。
「・・・。こちらこそ、偉そうに言ってしまってすみません。私は待つことは全然苦なんかじゃありません。それよりも私にとってはむしろ・・・」
しかしノエルはそこまで言って、それきり口をつぐんでしまった。
お互い無言の時間が続いたので、二人を取り巻く不穏な空気を拭うかの様に、ガイはおどけて言ってみせた。
「こんな様子じゃ、俺がホドを復興させるなんて、当分先まで無理なんだろうなぁ。君もそう思わないか、ノエル。」

パシッ、と乾いた音が突然辺りに鳴り響いた。
一瞬の出来事に何が起こったのかもわからず、唖然としていたガイは、少し経ってから、自分がノエルに頬を打たれたことに気付いた。
「そんなことを言うガイさんなんて、そんなの、私の知ってるガイさんじゃありません!」
叩かれたのはガイの方なのに、顔を歪めていたのは、叩いた方のノエルの方だった。
「・・・すみません。叩いたことは謝ります。でも、自分が言った事は謝りません。そんなガイさんの後姿を、私はもう見ていられない。見たくないです。ずっと間近で見てきた私にとっては、これ以上見ているのは辛すぎます。」
いつのまにか頬に落ちていた涙を勢いよく、ぐいぐい、と拭きながら、ノエルは、驚いた顔のまま一言も言葉を発せないでいるガイに、くるりと背を向けて言った。
「・・・私、先にアルビオールに戻ります。」
小走りに駆け去って小さくなってゆくノエルの後姿を見送りながら、ガイはやっと我に返った。女性に頬を叩かれるような酷いことを、した事も言った事も無いので、心底驚いてしまっていたのだった。その為に避けることも出来ず、言葉を発する事も出来なかったのだ。

平静さを取り戻したガイは、知らず知らずの内に、自分はノエルに甘えてしまっていたのだ、と悟った。彼女に対して自分が発していた言葉や態度は、彼女に相当な負担をかけてしまっていたのだろうと考えると、心から申し訳ない、と思う。
戻ったら謝らなくては。
謝って、しばらく彼女と少し距離を置こう。
そう決めた。
そしてガイは先ほど言った言葉を思い返してみて、自分で自分に呆れた。
「俺は誰かに、救いを求めていたのかもしれない。自分を本当に救ってやれるのは自分自身だけなのだ、と解ってるのに。ほんと、何をやってるんだ、俺は。」

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