DropsⅦ vol.4

ED後の話

ケセドニアから帰ってから、数日間の休み明けに出仕したジェイドは、いつもの執務室でベルケンド研究所から届いていた包みを開いていた。
その中には何冊かのレプリカ研究の最新実験結果報告書と共に、スピノザ博士とサフィールからの、完全同位体における様々な仮説への提言と疑問点、 及び六神将時代にサフィールが行った、完全同位体作製実験の、確実な実現に向けての草案がびっしりと書き込まれた文書が添付されていた。
特にサフィールからの文書の方は無駄に長く、途中からはほとんど要領を得ない内容になっていた。


「・・・呪いの手紙ですか、全く。」
三分の一を読んだかどうかの所で、ジェイドはサフィールからの文書をダストボックスへ放り込んだ。
ふぅ、と一息溜息をつくと、ジェイドは後ろ手に組んで歩き出し、グランコクマが誇る水の芸術とも呼べる、流水の見える窓辺に立ち及んだ。

公にすることが、必ずしも良いこと、とは限らない。
先日の、ルークとのやり取りを思い返しながらジェイドは考えていた。

確かに私はフォミクリー研究を再開させた。レプリカを代替品ではない何かに昇華させる為に。
今日では、既存の生物レプリカは、一人の人間として生きていく事が出来る環境が整い、その短かった生存率も大幅に伸ばす事が出来た。
生物以外のものは、医療や産業、経済の面でも大きく躍進が見込める程の研究実績を挙げている。
しかし、とジェイドは思う。
生物レプリカの完全同位体、となると話は別だ。

それは今でも、遅かれ早かれ、不幸な結末にしか結びつかない。
細胞レプリカを作製する為の、被験者情報を抜き取る際に起こる偶発的な産物である、とはいえ、その発生率は限りなく絶対的な零にまで近づけなければならない。

彼と、ルークと同じ思いをさせてはいけない。
もう二度と、あんな思いをさせたくは、ない。
ジェイドはおもむろに眼鏡を直した。

過去に戻れるのなら、過去の自分を消したいと思います、と以前ジェイドが言った時、ルークは言った。
ジェイドがいなければ俺はこの世にいなかった、と。
「ありがとう、ジェイド。」

感謝をされるようなことではない。
元は、と言えば、自分の好奇心が生み出したものだ。
そしてそれは自分の為にやった、としか言いようが無い。
人知れず負い目を感じていたジェイドの心を、しかし、ルークの言葉は癒してくれた。
ジェイドの方こそ、ルークによって救われたのだ。

「私の方こそ、あなたに感謝しているのです。だからこそ、こうして今もレプリカ研究を続けている。そして、 生物レプリカの完全同位体がこの世に二度と生まれないようにする事こそが、私があなたに出来得る唯一の返礼でもあるのです。」
それとは別に、とジェイドは一人ごちる。
「私はあなたを最期まで見ています。それが私の、あなたに対する責任でもある、と思っているからです。 しかし、その前に一人の友人としてあなたには、心残り無く最期を迎えて欲しい、とも思っているのです。」

ルーク。
私は結局、こんな事位しか、あなたにして差し上げられない。
今度こそ本当に消えてゆこうとしているあなたを、この世に繋ぎとめる事すら今の私にも出来はしない。
いくら科学や技術が発達しようとも、人一人が自然上で出来る事など、たかだか知れている。
実体を失った生物レプリカであるあなたが、やがては消滅してゆく、ということは、抗うことの出来ない自然の摂理だ。

しかし、やはり私は今でも、あなたに消えないで欲しい、と思ってしまう。
それが生き残っている人間の都合の良いエゴである、ということも、私は重々承知の上で、です。
そしてそれは、あなたがこの世に生きている、と思うことによって糧にしようとする、私自身の為に他ならない。
科学者である前に私は、ただの非力な一人の人間であるのですよ。
ジェイドは思う。

どんな人間でも、感情を取り去ることなど出来はしない。
それにやっと気付いた今だからこそ言える。
自分の負を見据えて受け入れ、その上で、自分に出来る事、自分の原点でもある、科学の分野でその限界も解っていて尚、新しい未来の可能性を創造したい。
そしてそれによって少しでも、自分の過去に償いの様な事が出来れば、と。
そのことが今の私を生かし続けている、原動力ともなっているのだ、と。

ひたすら前向きになるのでもなく、後ろ向きになるのでもなく、現実を見る。
楽観視するのでもなく、悲観視するのでもなく、ありのままを、ありのまま、として受け入れる。
これが自分の生き方だ。
そしてきっとこれからも、自分はこうして生きていくことだろう。
自分のデスクに戻りながらジェイドは呟く。

「・・・とまぁ、こんな哲学的な事に浸ってはいられないほど、哀しいかな、私の日常は、雑務やその他諸々に忙殺されているのですけれど、ね。」 <終。 ─Ⅷへ続く─>

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