それはまるで、長かった冬の終わりを告げる春の使者の如くに、ガイの頭上を強く凪いでいった。
新緑の眩しいある日、キムラスカにあるルークの墓前をガイは訪れていた。
「こうして両手を土まみれにするのも久し振りだよ。」
美しい花々に彩られたルークの石碑のすぐ横に生えていた芝生の一部を少々刈り取って、ガイはそこに二種類の花の苗を植えていった。
一つは、子供の誕生の際によく植えられる記念樹の一種で、ペールから是非に、と預かってきたものだ。
ガイはまだ小さいその樹の、中でも一番太く伸びそうな幹に、亡き姉マリィ・ベルの形見である、古ぼけたリボンをゆるめに結んだ。
「毎年結び直しに来るつもりだから安心しろ。」
ガイはルークに語りかけた。
そして、もう一つはセレニアの花の苗だった。
「これはティアに頼んで譲り受けてきたものだ。お前がいつでも見られるようにと思ってさ。」
土を整え、植え終わった苗たちに少しずつゆっくりと水をやり、ガイは、これでよし、と言ってそれらを眺めた。
ルークの墓石の両脇には、新しく植えられた記念樹とセレニアの花、そして石碑の土台の上には、宝刀ガルディオスが丹念に磨かれて輝きを放ったまま、その身を横たえていた。
素材がいくら良くとも、このままではいずれは錆びて使い物にならなくなってしまうだろう。
しかしガイは、それでもいいと思っていた。
「俺がこの剣を捧げる主は、後にも先にもルーク、お前だけだからな。」
ぱんぱん、と両手についた土を払うと、ガイはすっく、と立ち上がった。
墓石の周りは水飛沫をたっぷりと含んだ花々と、陽の光を映した宝刀からの反射で、眩い光がキラキラと輝いていた。
「ガイ。」
腕を腰に当ててそれらを満足そうに眺めていたガイは、呼ばれて後ろを振り返り見た。
「ルーク。」
「・・・お前も来ていたのか。」
そこには、キムラスカ王族に連なるファブレ家次期当主としての、それらしい装いをした“ルーク”が、右手に花束を、左手に酒瓶を抱えて立っていた。
「ああ。頼まれたものもあったんでな。」
「・・・そうか。」
ガイは少し横によけて、“ルーク”のために墓石の前を空けてやった。
“ルーク”は宝刀ガルディオスに気がつくと、それの邪魔にならない所に、自分の持ってきた花束と酒瓶をそっと置いた。
「今年出来あがった、レプリカ施設産の新酒だ。こいつにも飲ませてやろうと思ってな。」
この季節にしては珍しい、強い日差しとカラっとした乾いた空気の中で、ガイと“ルーク”は、立ったままルークの墓石を見つめていた。
「・・・その格好をしてるってことは、今日が正式な拝命式か?」
暫くしてガイが“ルーク”に問うた。
「ああ。今日の昼からだ。」
キムラスカに戻った“ルーク”は正式に、ファブレ家の長男として父の跡を継ぐ表明をし、インゴベルト国王の名において、正統な後継者として披露されることになっていた。
そしてそれは同時にナタリア姫の婚約者として、ひいてはキムラスカ=ランバルディア王国、国王の継承権を持つ者となることの意味を表していた。
「・・・俺としてはあいつを“女王”にしたかったんだが、あいつが、諸国を身軽に行き来出来る身のままでいたい、とか、自分の子供は自分の手で育てたいから、とか言い出して収拾がつかなくなって、仕方なく・・・な。」
と“ルーク”はガイに、残念そうに言った。
「あはははは!ナタリア姫らしいな。」
ガイは、一見雄々しく見えていても、実はナタリアの尻に引かれているであろう、“ルーク”の近い将来を想像して笑った。
「そうやって今は笑ってやがるが、お前だっていずれはそうなるんだぞ。
・・・例え相手が誰だろうと、な。」
うっ・・・と言って一瞬怯んだガイの顔を横目で見て、“ルーク”はニヤリ、と笑ってみせた。
そんな二人の頭上を掠めるように、ツバメが一羽飛び去ってゆく。
ガイはふと思う。
互いの間に、こんな穏やかな空気が流れるようになれるとは、あの頃はお互い、思ってもいなかったな。
ルークが皆に会いにユリアシティにやって来た日、ガイはルークに入れ変わる前の“ルーク”と鉢合わせた。
ガイは彼に何か言いたかったが、その時は何も言うことが出来なかった。
ルークのことで頭が一杯だったせいもあるが、単にそれだけではなかった。
彼に対して自分が発する最初の言葉が、どれを選んでも、彼を傷つけてしまうような気がしたのだ。それについてガイには、前から微かに疑問に思っていることがあった。
「俺が知ってる、と思っていたあいつはあいつの一部分だけであって、その他の部分を俺は知らなかった。と、いうより、そもそも俺は、見ようとしていなかったんじゃないか・・・?」
互いが互いを知っている期間は、あいつが誘拐される前迄の間だけだった。
その頃の俺は、あいつを親の敵の息子、としか思ってなかったし、あいつも俺を、使用人の息子、としか思っていなかった。
その立場がある限り、その立場でしかお互いを見られない。
「だからこそ、全てが終わって今度あいつに再会した時には、互いが一人の人間同士として認め合い、一から関係を始めるのも悪くない、と思っていた。
だがあいつが、俺があいつに対して持っていた隠れた憎しみの感情を、理由は解らなくとも、あの頃既に感じ取っていたとしたら・・・。」
ルークがレプリカだと分かったとき、ガイは彼ではなくルークを選んだ。
それを伝えた時の彼の顔に、一瞬だが、淋しそうな、苦渋の色が見えた様な気がしたのも、やはり気のせいではなかったと、そう考えると合点がいく。
「俺はどうすれば・・・」
ガイのその疑問は、その後程無くして“ルーク”の口から直接聞くことになったのだった。
“ルーク”はある朝一人で、グランコクマのガイの自宅を訪ねてきた。
彼は開口一番、今まで自分がガイに対してしてきたこと一切を謝りたい、と言った。
「あの頃の俺は、お前の事情を知らなかった事もあって、使用人の息子としかお前を扱って来なかった。 ましてや自分は、いずれキムラスカを担う者なのだ、という自負もあった。振舞い方一つ取っても、厳しく父上に躾けられていたとはいえ、 それは今となっては、俺がお前に対して取ってきた傲慢な態度の言い訳にすらならない。・・・あの時は、本当にすまなかった。」
「アッシュ。」
「それに俺は、お前の事は好きだった。だからお前が時々俺に向ける、ぞっとするような冷たい視線にも気付いてはいたが、気にしないようにしていた。自分が、もしかしたら嫌われているのかもしれない、と自覚するのは、あの年の子供には辛いことだからな・・・。」
そして“ルーク”は言った。
「ガイ。俺は、出来ればお前ともう一度、一からやり直したいと思っている。
ガイラルディア・ガラン・ガルディオスと、ルーク・フォン・ファブレとして。そしてこれからの俺を見て判断して欲しい。・・・お前さえ良ければ、だが。」
その点では、謝らなきゃならないのはガイも同じだった。
傲慢と思えた仮面の下に隠していた、彼の本当の気持ちを知ろうともしていなかったのだから。
「勿論だとも。俺の方こそ理解してやれなくて悪かった。」
ガイも“ルーク”に詫びた。そして、
「これからゆっくりと築いていこうじゃないか。新しいガイラルディアと、新しい“ルーク”との関係を、さ。」
「・・・風が出てきたな。」
「・・・ああ。」
ガイが乱れた襟を直そうと横を向くと、“ルーク”が風に靡いた自分の長い髪を両手でまとめているのが目に入った。
「さすがに式典には束ねて行くのか?」
ガイがそう尋ねた瞬間、ザクッ、という音と共に、“ルーク”の首周りの髪が、根元からバラけた様に乱れたのを見た。
「おいっ!?」
ガイには一瞬、何が起こったのか解らなかった。
“ルーク”は左手に掴んだ、切った後の自分の髪の束を、サラサラと、吹いてきた風に乗せて手放した。
「俺はこいつに誓ったんだ。約束は必ず果たす、と。そしてこれは、こいつへの、俺なりの最後の決意表明だ。」
「ルーク・・・。」
そして“ルーク”はガイへ向き直ると、
「お前にも・・・見ていてもらうことが出来て、良かった。」
と言った。
聖なる焔の光を宿した髪は、あっという間に方々へ散り去っていった。
これでもう思い残す事はない、という風に“ルーク”は一息つくと、右手に握っていた、自分の髪を切った短剣を、ガイのほうについ、と差し出した。
「お前も・・・行くんだろう?」
ガイの足元に置いてある、大きな荷物を見て“ルーク”は言った。
「ああ。」
「女から渡される短剣は“決別”を意味するらしいが、俺達はこの通り男同士だ。いつかの再会への布石、とでもしておいてくれ。」
それを聞いたガイは、ふっ、と微笑むと、
「解った。」
と言ってそれを受け取った。
“ルーク”はありがとう、すまない、と言い、そして、
「・・・彼女にも、宜しく言っておいてくれ。」
と付け加えた。
「そうするよ。」
“ルーク”にそう答えると、ガイは、大事そうにその短剣を懐にしまい、そして最後の言葉を紡ぎ出した。
「彼女も、あいつの決意を知った短剣を持っている。そして今、俺も、お前の決意を知った短剣を受け取った。・・・俺達はお前達を決して忘れはしない。」
「ガイ。」
そして二人は固く握手を交わすと、
「彼女の事は頼んだぜ、ガイ。」
「お前の方も、ナタリアを頼むな。」
と言って抱き合い、互いの肩を叩き合った。
またな、と言って、花吹雪の舞う中を去ってゆく“ルーク”の後姿を、頼もしく見送るとガイは、さて俺もそろそろ行くか、と言って、地面に置いておいた、重たい荷物を自分の肩にかけた。
ガイは最後に、もう一度だけ、石碑を振り返る。
「・・・またな、ルーク。」
そう告げたガイの背中を押すかのように、より一層強く、風が凪いでいった。
< Drops ─ 完。─ >