「こんな所で何をしている。」
「?!」
ふいに声をかけられて驚いたのか、伏せられていたアッシュの頭は弾かれたようにガバッと持ち上がった。
「な、何でもねぇ!ほっとけよ!」
そう言って、どうにか冷静を装って立ち去ろうとするアッシュを、リグレットは呼び止めた。
「まぁ待て。そんなに恐がらずとも良い。」
「…は?!」
それを聞いて振り返ったアッシュの顔が、みるみる内に赤くなっていく。
「だ、だ、誰が恐がってなんかっ…!!」
動揺したのか、呂律の回らない口でどうにか反論しようとするアッシュに向かって、リグレットは静かに微笑み返した。
「え。」
普段、自分と同じく無愛想で、むしろ自分の様に感情を表に出したりした事のないリグレットの笑顔、
というものを初めて見てアッシュは少々混乱した様だった。
(ふ…。私はそんなに冷血漢とでも思われていたか。)
リグレットは普段の自分を想像して、つい笑い出しそうになってしまった。
「・・・・・・。」
その様子を、不審そうに眉をひそめて見ているアッシュの視線に気付き、
リグレットは元の真顔に戻ってきっぱりとこう言った
「お前は何も言わなかった。だから私は何も聞いていない。」
「えっ…」
アッシュは今度こそ驚いた様子でリグレットを仰ぎ見た。
「ヴァン謡将に剣術指南を受けるためにお前は訪ねて来ただけ、急用で出かけられた謡将の代わりに、
私はあそこにいただけだ。」
「!」
リグレットは続ける。
「お前の得意分野は近接戦闘、そして私が得意とするのは遠距離戦闘。
今回は、その違いを身体に叩き込むのに絶好の機会だ。
どちらかが頼まれた訳でもなく、どちらかが頼んだ訳でもない。異分野同士で訓練を行うのは、互いにとっても利益。
…そうだろう?」
問うたリグレットに対してアッシュからの返事は無かった。しかしアッシュの方も、
何かを考えているような素振りを見せている。
「異論が無ければ早速行くぞ。そこは私個人専用の訓練場だ、終わりの時間を気にする必要もない。
例え夜が明けたとしてもな。」
「・・・・・・。」
「どちらかが力尽きて倒れるまで、今日は日がな一日、存分に戦おうではないか。なぁ、アッシュ。」
そう言ってリグレットがアッシュの肩を容赦なく叩くと、少し時間が空いた後、
「…分かった。」
とだけ返事をして、アッシュは特に反論もせず大人しくついてきた。恐らく、リグレットの本意をも彼は察したのだろう。
─勘の良い子だ。
アッシュの少し前を歩きながらリグレットは思う。
我慢強く、滅多な事では自分を曲げないが、納得すればそれに従う。
素直ではないが、感情はつい表に出てしまう。
言葉少ななのは、照れの裏返し。
─まるで幼い頃のマルセルとそっくりだ─。
リグレットの唇が微かに震えた。
ぶすっとした顔のまま、しかしトコトコと自分の後を着いて来るアッシュの姿が、今は亡き最愛の弟の昔の姿に重なる。
─マルセルの事を想うと、未だに私はすぐ姉の姿に戻ってしまう─。
我ながらなんと女々しい。
リグレットは自分に活を入れるように、両頬をビシビシと打った。
そんなリグレットの姿を、アッシュは後ろから何か見知らぬものでも見るように、ただじっと眺め続けていた。