ピオニーの軟禁屋敷から外へ出てきたジェイドは、何となく不愉快な気分で早足に街の出口に向かっていると、前方からいかにも上流貴族らしいコートを羽織った、どことなく見覚えのある人影が見えてきた。
「・・・ジェイド?ジェイドじゃない?」程なくして、艶っぽく甘いなまめきを充分に含んだ声が、素知らぬ顔ですれ違おうとするジェイドの後姿に向けられた。
「これは・・・お久しぶりです。ランバート様。」
今初めて気付いたという体で、ジェイドは振り返ってお辞儀をした。
「二年・・・いえ、三年ぶりかしら?」
品の良い上品な顔に乗った、光沢を帯びた形の良い唇が、あの頃と変わらない響きの良い音色で言葉を紡ぎ出す。
「お元気、でしたか?」
「ええ。あなたこそお元気そうで何よりですわ。」
そう言って微笑んだ彼女の顔には、彼への責めの色はなかった。
ふと昔の記憶が蘇る。
若さに任せて自分勝手に振る舞い、この人を含めた何人もの女性を傷つけてしまった自分。
けれども今更謝って、許してもらえることでも到底ないのはわかっている。
「今日は主人とバカンスに来ているの。そのご様子だと、あなたはお仕事で?」
「ええ、まぁ、そんな所です。」
彼のそんな思惑を知ってか知らずか、作った笑顔のジェイドに向かって彼女は言った。
「・・・私は今、とても幸せよ。でも、あなたはそうではないのね。」
今でも、と囁きながら、ふと笑顔の消えたジェイドの腕に手を回した彼女は、
あなたにまだその気があるのなら、私はいつでもいいのよ、と言うと、奥深くに暗い闇を隠した瞳でじっと彼を見つめてきた。
まわされた腕を丁寧に彼女の元へ返しながら、ジェイドは言った。
「すみません。あの頃の私は本当に子供でした。あなたを傷つけるような事ばかりをして。でも、今は違います。さすがに大人になりましたから。」
精一杯の笑顔を作って見せて、けれどもあなたには本当に感謝しています、と礼を言って軽く頭を下げた。
「そう・・・。わかったわ。」
その返事を黙って聞いていた彼女は、特に感情を動かされた様子もなく、すんなりと彼から離れた。
そして、
「あなたの軍での活躍は聞いているわ。これからもつつがなくご健勝で。」
と言うと、上流貴族の妻らしい上品なお辞儀をして、二度と振り返ることもなく去って行った。
ネブリム先生の事件の後、是非にと乞われて、マルクト軍人の家に養子にいったジェイドだったが、首都グランコクマでの生活は、ケテルブルグにいた時よりも、彼をより一層孤独にした。
何一つ不自由なこともなく、よい成績で軍隊に入り次々に手柄をあげていき昇進していったりしたが、心の中はどこか虚ろで、いつも満たされなかった。
その頃時を同じくして、嫁いだ貴族の夫との生活がうまくいっておらず、淋しい思いに打ちひしがれていた年上の彼女は、夜な夜な街を彷徨っていた。
まるでそれが必然だったかのように、二人は程なくして出会ったのだった。
若さと欲望に任せた日々。どうしようもない虚無感と、いつまでも満たされない淋しさを、お互いの熱で埋めあうだけの関係。
そんな日々が長く続くわけも無く、ある日一方的にジェイドの方から離れていったのだった。
「こんなことばかりしていると、いつかきっと天罰が下るな。」
スコアどころか、迷信などの類を信じる柄でもなかったが、ただ何となく、その頃のジェイドはそんな風に考えていた。
それがまもなく、自分に本当に降りかかってくるとも知らずに。