そう、あの日もこんな、月が美しい夜だった。
カウンター横の小さな出窓から差し込む淡い光に、ジェイドは少しの間だけ、心を奪われていた。
しかし・・・と彼はまたすぐに、我に返って考える。
あの時と同じ事を、私はまた繰り返そうとしているのか。逃れられない運命なのか?・・・これもまた・・・。
空のグラスに映った自分の顔が、月の光とは対照的に醜くゆがんで見えた。
ND2007。
「いつもお一人でいらっしゃるのですね。」
そう言って、頼んでもいない野菜スティックを目の前に置いたそのウェイトレスは、スタイルは良いがどことなく華奢な身体つきの上に、この辺りでは珍しいプラチナブロンドの髪の毛をしごく無造作に束ねて重ねていた。
「話し相手のいないお酒は、身体に回り過ぎて毒ですよ。せめて何かお口にしながら飲んで下さいな。」
普段は生の野菜はあまり好んでは食べないのだが、今朝仕入れたばかりだというエンゲーブ産の野菜盛りは新鮮で、とても香ばしい匂いを発していたので、ついつい触手がのびた。
「では、あなたが話し相手になってくれますか?」
セロリスティックをかじりながらジェイドがそうおどけて聞くと、
「私でよろしければ、いつでも喜んでお相手になりますわ。カーティス大佐。」
と、色白の肌に全体的に切れ長のパーツをのせた顔に、屈託のない笑顔を見せて彼女は答えた。
今晩は休日明けの平日、ということもあって、グランコクマの酒場はとても空いていた。休日返上で軍の事務処理室に篭りきりになっていたジェイドは、息抜きにこっそりと酒を飲みに来たのだった。
お店が暇な時は、こうやってお客様のお相手と称して、好きなおしゃべりができたりするのですと言って、彼女はカウンター越しにふふふ、と笑った。
勿論、ジェイドから積極的に話したいことがあるわけもなく、気付けば結局、彼女の話をうんうんと聞く役目になっていたのだった。
最近セントビナーからこちらに移って来た、という彼女には、軍に所属する父親がいるらしい。先頃から頻繁になってきた、キムラスカ軍との小競り合いによって、父親の所属の部隊がグランコクマ南西の海岸配備になったため、それを機会に一緒に着いて来たのだ、と彼女は言った。
「父娘二人きりなので、一人でセントビナーに残るのはとても嫌で。でも最近父はほとんど帰って来られないから、ここでも一人なのは変わらないのですけれど。」
と少し淋しそうに笑ったが、すぐに気を取り直したようにジェイドに言った。
「カーティス大佐のお話は、昔から父によく伺っておりました。」
だから自分を一目見て何者か判ったのか、とジェイドは一人で納得していた。
首都が基本勤務地である自分と、現地遠征がほとんどだという彼女の父親とは、通常会う機会はまず無い。マルクト帝国軍自体がかなり大きいので、いくら物覚えの良いジェイドでも部隊が違えば、さすがに名前も知らない兵士がほとんどだった。
しかしこちらが知らなくても、どうやらむこうは自分を知っているらしい。
軍内部で自分がどの様に言われているか位、ジェイドは充分に解っていたし、今更その悪口を聞いた所で何の感情も浮かんではこないのだが、彼女の口から直接、今ここでそれを聞かされるのは何となく嫌だった。
「では私がネクロマンサーと呼ばれている事も聞いているでしょう?」
つい、いつもにも増して皮肉っぽい口調になってしまったのは、こういう理由からなのだった。
「ええ。知っています。」
「そんな私にあなたは何故、そう屈託無く話しかけられるのですか?」
街の人々から向けられる不躾な視線だけでも、彼らが自分をどう見ているかなどという事は容易に察することが出来た。
「だって・・・。」と彼女はまるで拗ねた少女のような口調になった。
「私には大佐が、とてもそう呼ばれている方とは思えませんでしたもの。
何かにずっと苦しんでおられる。大佐がここにいらっしゃる時は、いつでもそんな風に見えました。少なくとも、私には。」
驚いた。そんな事を私に向かって、真っ直ぐ言って来る人間がいるなんて。
少しの間、ジェイドは何かを考えていたようだったが、そのうち、自分を見つめ続けている彼女の視線に耐えかねたのか、眼鏡の位置を直しながら、
「おや。私はいつも、そんなに苦虫を噛み潰したような顔をしていたのでしょうか?大変なのですねぇ私も。それは私にとって由々しき再検討課題です。」
と言って、今度は声を立てて心底おかしそうに笑った。
「大佐、それよりも、私の作った果実酒を試して頂けませんか?」
この話はこれで終わり、といった風に、ジェイドの返事も待たずに彼女は裏の厨房へ入っていった。
「どうも彼女には調子を狂わされますね。私ともあろうものが。」
などと呟いていると、間もなく透き通った薄紅色の液体の入った小瓶を持って彼女が戻ってきた。
甘い酒はあまりたしなまないのですが、と一言断った後、グラスに注がれたその酒をひと口含んだジェイドはまた驚いた。
その色からは想像もしなかった、飲み口はすっきりとしていて、そのくせ後味はぴりりと苦味と酸味が程よく利いたこの味わい。
「見た目と違って強い飲み口なのですね。私はとても好きな味です。」
「そう言って頂けると嬉しいです。ありがとうございます。実は密かに、今度メニューに加えてもらおうかと狙っているんです。」
と、いたずらっ子のような笑みを浮かべて彼女は言った。
その後はたわいも無い世間話などをしながら、ジェイドは暫くの間、この先何度も味わいたくなるであろうこの酒の味と、彼女の名前「ニコル」の響きを、口の中で反芻していた。